”real” Emotion -後編-<FFX-2> ノベル:侑史様 イラスト:桜沢綾様
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───つうかさ、変わったよな? ───そりゃあ、いろいろありましたから。 キミがこの世界───スピラに帰ってきた時に言ったその言葉に、私は笑いながらそう、答えたんだ。もちろん、キミも笑ってた。もう二度と逢えないと思っていたキミに逢えて。二度と見れないと思っていたキミのあの笑顔に、声に、また……逢えて。 キミと一緒に、海辺からみんなのところへ走りだしたその時、キミは私にこう言ったよね。「聞きたい!」って。───私も、ひどく嬉しかったんだと思う。だからはちきれそうな歓びと一緒に、思い切り頷きながら、こう答えたんだ。 「うん!」って。 キミがいなかったこの二年間のことを、話したかった。 ううん、本当は二年間も、何もかも関係ない。何でも良かったんだ。 私が語れる全てのことを、側にいる君に話したかった。 でも、私はその時、知らなかったんだ。 ───私が得意げになって話す物語に、 キミがどんな想いを抱いていたか、なんて。 ◇
ガガゼトの山頂にある、古代の遺跡にて。 キマリ教えてくれた“空一面に輝く光の衣”を見に来たティーダとユウナの二人は、見晴らしも良く、厳寒を凌げるこの場所で暖を取ることにした。遺跡の入り口に入ってすぐの場所には一メートル程の深さの穴が掘られていて───雪山で過ごすための技術の一つだ───恐らくはここを寝床にした冒険者が以前にいたのだろうことが伺える。その点から見ても、ここが野営地に適していることは明らか、と言ってもいいのだが……それでもやはりガガゼトの寒さは甘くはない。 入り口に張り巡らせた魔法の障壁や、身の回りに常に巡らせている炎の黒魔法の加護をも突き抜けて肌を撫でていく御山の冷気に、幾度身震いをさせられたことか。硬く閉じられた入り口の扉の向こうでは、高山特有の強い山風が吹き荒れているようで、そこかしこに刻まれた遺跡の小さな傷跡から、ぴゅうぴゅうと笛を吹いているような甲高い音をあげていた。 「寒くなってきたねぇ」 唇を離れた途端に白く染められる吐息を零しながらユウナはそう呟くと、目の前に焚き火にキマリから分けてもらった薪をくべた。からん、という木の音が奇妙に心地良かったが、舞い踊るように揺れ続ける炎をじっと見つめていると、何だか不穏な思いに囚われそうになってしまうように思え、逃れるようにユウナは視線をそっとティーダへと移す。ティーダはというと、ユウナの言葉を受けてか否か、焚き火で沸かせた湯を使ってお茶を淹れているところだった。手袋をしながら、何だかやりにくそうな手つきで悪戦苦闘しているティーダにユウナはくすり、と微笑を浮かべ、 「淹れてあげる」 と、ティーダから道具を取り上げた。ティーダは肩を竦め、 「サンキュ」 と答え、同様に微笑んで見せたが───揺らめく焚き火のあたたかな光を持ってしても誤魔化しきれない程の寂しさがその表情から、その言葉から滲み出ていて、ユウナはティーダのこの反応に戸惑いを抱かずにはいられなかった。 いつの頃からだったろうか。 ティーダの様子が変わってしまったのは。 彼のその寂しげな笑顔を見て、ユウナは思う。この旅の始めの頃は、そうではなかった。 どこへ行っても、何をしても、いつもいつでもニコニコと笑っていて。久方ぶりに会う人々や仲間達との触れ合いの中で、朗らかに、楽しそうに笑うティーダの姿を見て、つられてユウナも笑顔になってしまっていたものだった。 しかし、最近は───そう、二人の旅の目的地、ザナルカンドに近づくに連れて、彼の様子は変わっていった。 いつも物憂げにどこか遠くを見ていて、何かを話し掛けても、大抵は上の空。ちゃんと話を聞いていて、ちゃんと返事を返してくれる時も多いが、その様子はどこか無理をしているようで、痛々しさに満ち満ちている。本人はいつものように笑ったり、話したりしているつもりらしいけれど、ちっともだ。しかも上手く振る舞えていないことに自分自身も気づいているようなので、尚更彼の中で苛立ちや哀しみが募っていくのを、ユウナは感じていた。 たった二人だけで決めた旅立ち。それは、二人がもっと深まるための、二人が幸せになるための旅だったはずなのに。一緒にここまで歩いてきたはずなのに、何故だかユウナの先を歩く彼の背中は、一人ぼっちのように見えたのだ……。 一緒に、いるのに。 二人で、いるのに。 ティーダは、淹れたばかりの熱いお茶を音もなく啜っているところだった。その様子をじっ、とユウナは見つめる。ゆっくりと、緩慢な動作でカップを口元に運び、啜り、熱のこもった吐息を漏らす彼の一挙手一投足を、ユウナはただただ、見つめ続けた。 ───この旅をしていて、思った。 ああ、本当にキミが帰ってきたんだ、って。 あの頃と全く変わらない、キミ。 でも……じゃあ───どうして? どうして、と、心の中でそう呟き、ユウナは哀しみに口元をきつく結びながら、再びティーダを見つめる。 ───どうして、キミは笑えないの? 何が、キミをそんなに哀しくさせているの? 何故キミは、キミを独りだと思うの? 私は、キミを支えてはあげられないの? 私じゃ───ダメなの───? 「……ユウナ?」 ふと顔を上げたティーダが、ぎょっとした表情を浮かべる。ユウナの頬を伝う、揺らめく焚き火の炎に浮かび上がる一筋の軌跡があったからだった。そのティーダの顔を見て、ユウナもまた、そこで初めて自らが涙を流していることに気づく。 「えっ……あ、あれ?」 と、頬を拭うが、一度流れ始めた涙はなかなか収まらなかった。ティーダは慌てて立ち上がってユウナの隣へ移動し、涙を拭い続けるユウナを自らが膝掛けに使っていた毛布ごと包み込み、抱きしめた。彼女が安心できるように、何度も彼女の名前を呼びかけながら。 「な、なんで……えっ……あれ?」 涙ばかりが勝手にぽろぽろと流れていくものだから、ユウナはそんな自身に驚きを隠せずにいた。全然泣くようなことじゃないのに、そのはずなのに……。 始まりは全て、ほんの些細で小さなものだった。しかし、この旅の間でそれらは徐々に徐々に二人の間に降り積もっていき、気づかない内に心の堤防を崩す程に、膨れ上がっていたのだった。二人がそのことに気づかない程、ゆっくり、ゆっくり。しかし、確実に。残酷に。 尚も流れていく涙に戸惑うユウナの肩を抱きながら、ティーダは彼女の横顔を見つめた。 (オレ……何やってんだ……) 涙を流す彼女を見つめ、ティーダは自らに向けて大きくため息をついた。このままでいいはず、なかったのに。ちゃんと話さなければ、ならなかったというのに。ティーダは悔恨の念と共に目を細め、伏せた。何かを決意するように、逡巡するように、固く目を瞑り、再び開いた時、ユウナを見つめたティーダは、言った。 「……ごめん」 「─────。」 涙を流す自らに放ったティーダの言葉に、ユウナはハッ、と顔を上げる。ティーダのその瞳は、奇妙な程に澄んでいた。泣いているのだろうか、瞳は水の膜が張られているかのように潤んでいたが、しかしけして揺れることなくユウナを捉えている。 「───ごめんな、ユウナ」 もう一度、全く同じ調子で呟いたティーダの言葉に、ユウナは瞳から涙を散らしながら、ふるふると首を横に何度も振った。 「ちがっ、違うの、これは、その……」 (違うの、キミのせいじゃない、これは私が勝手に……。だから謝ることなんてないのに。そんな風に謝ることなんて、ちっともないのに) ───そう言いたかった。これはティーダのせいではない。自分がティーダを支えてあげられるだけの力がない……そんな自分が悔しくて、情けなくて、それで泣いてしまったのだと。ユウナは、そう、言いたかったのだ。でも、そんな風に、そんな寂しそうに謝られてしまうと、ただ涙が溢れてくるばかりになってしまって、うまく喋ることすらできなくなってしまう。 「───いいんだ。 いいんだよ、ユウナ」 そんなユウナを再びティーダは強く抱きしめて、そう言って聞かせた。 「そうだよな……ごめんな。ちゃんと話さなくちゃいけないことだったのに───」 まるで子供に言い聞かせるように優しく語り掛けるティーダ。でもその言葉はそれでいて、どこかで自分にも言い聞かせているかのようにも聞こえた。ティーダは安心させてあげたくて抱きしめているのに、しかしその姿はどこか、泣きながら母親に縋っている子供の姿のようにも、見えた。 そんなティーダを見てユウナは一度彼の体をそっと離し、一度その瞳を見つめる。 そうして、ユウナは───見たのだった。 「───。」 ティーダは───泣いていた。 実際には涙を流してはいなかったけれど、その瞳は揺らぎすらしなかったけれど。 この時確かに、ティーダは泣いていたのだ。 その瞳を見たユウナは、今度は自分からティーダを抱きしめる。強く、強く。切なく、哀しい程に膨れ上がっただろう彼の中の“孤独”を癒せるようにと、心から願いながら。 ───そうして、キミは話し始めたんだ。 ティーダは抱きしめられながら、ぽつり、と呟いた。 「ユウナ───オレ……」 ───この旅の中で、心の内に秘めていたことを─── ◇
「最近さ───夢、見るんだ。」 「……夢?」 落ち着きを取り戻した二人は一枚の毛布に二人で包まり暖を取っていた。互いの手を握り合いながら、互いの身を寄せ合いながら。炎の揺らめきに照らされ、紅く染まったティーダの横顔を見つめながら、ユウナはティーダが零すように呟いたその言葉を繰り返すと、ティーダはゆっくりとうなずきながら、その夢について語りだした。 その夢の内容は、こうだった。 ◇
夢の中でさ、オレは眠っているんだ。 ◇
「そう、オレは───みんなのところに帰ることが、できなかったんだ……」 「───……」 傍にいるユウナにしか聞こえないような、か細く掠れた声で語るティーダの夢を聞くと、ユウナはただ黙ったままティーダに肩に頭をとん、と優しく預け、目を閉じた。そのときのティーダが抱いた寂しさや孤独を、思い描いているのかもしれない。そんなユウナの様子に気づいてか否か、ティーダは絶えず揺らぎ続ける焚き火から目を逸らすことなく、続ける。 「───でも、それは夢の話。現実にオレは、帰ってきた。『シン』が消えて平和になった、このスピラに。あの日、あのビサイドの砂浜へ……ユウナのところへ、さ」 ティーダはそう言って足元に置いていたカップを手袋越しに手に取り、しかしそこに注がれたお茶を飲もうとはせず、相変わらずに舞い踊る炎をじっと見つめながら、 「けど───そこは、オレが知っている、あのスピラじゃなかった───」 ぽつり、と。 白い吐息と共に、そう呟いたのだった。 その言葉をユウナが黙ったまま受け止めると、パチリ、と火にくべられた薪が爆ぜる音が響いた。が、ユウナはその音にすら動じていないようだった。まるで眠りについてしまったのではないか、と勘違いしてしまうほど柔らかく閉じていた瞼をゆっくりと開くと、瞳に飛び込んできた揺らめく炎をうっすらと見つめて、こう、問いかける。 「どうして、そう思うの……?」 ティーダは睫を伏せて、彼らしくなく自嘲気味に微笑んで見せると、 「……遠く感じたんだ。 みんなを」 と、世にも寂しく響く声で、そう答えすと、その言葉を受けてユウナは、火の揺らめきの音にさえかき消されてしまいそうな程、ひっそりと息を漏らした。相槌のようにも、単純な溜め息のようにも思えるそれが奇妙なほどに耳に残るのを感じながら、さらにティーダは続ける。 「ユウナと二人でスピラを回ったこの一ヶ月でさ、会う人会う人、みんな言ってくれたろ? “久しぶりだなぁ” ……って。 ワッカもルールーもリュックもキマリも、みんな、懐かしそうに目を細めちゃってさ」 パチリ、と再び火が爆ぜる音。その音が響いたのと、ティーダの声が潤み始めたのは、ほとんど同時だった。 「それで……オレはこうやって答えるんだ───」 ───リュック、あんなにニガテだった雷も大丈夫になったんだって? 驚いたな。 でも、オレのこと見ておねえさんぶるの、止せよな! 二年経ったって、オレら同い年だっつの! ───キマリがロンゾの長老かぁ。……すっかり落ち着いちゃったな? え? ……オレは相変わらず落ち着きないって? ……よけーなお世話ッス…… ───ワッカとルールー、結婚したのか! うわ、それ、一番びっくりした! 子供までいるなんてなぁ! イナミっていうのか……よろしくな、イナミ? ───ははっ! イナミってルールーの方が好きみたいだな。 ワッカぁ、実はちょっと悔しいんじゃないか? ……そうでもない? はは、また強がっちゃってさぁ…… …………? ワッカ、笑ってる…のか……? ……幸せ、なんだな。 ワッカ───。 その時の光景を思い出したのか、くすりと笑いながら───この微笑みがまた、ひどく寂しそうに響いたのだが───ティーダはなおも、続けた。 「……こんな風に……“みんなは、変わったなぁ?” って、さ? 本当……ワッカには驚かされたって! だって、あのワッカがオヤジになってんだぞ? 笑っちゃうよなぁ?」 ティーダは笑いながらそう言うが、すう、という風の音が聞こえてきそうなほどに空っぽなこの笑い声に、ユウナは遠慮がちに、でも強引に彼に合わせて口元を笑みの形に拵えると、そうだね、と、蚊の鳴くような声で零す。ティーダは、泣いている風にしか聞こえない笑みを含みながら、 「ついこないだまで、あんな……いつも通りのワッカだったのにさ……ちょっと眠って起きて会ってみたら、イナミがいて……自分の子供見て、あんな風に笑うようになっちゃってんだもんぁ? すっかり……オヤジみてーな顔、するようになっちゃてんだもんなぁ……」 ───参ったよ。ホントさ。 ティーダはぽつり、とそう呟き、言った。 「みんな……微妙に違ってた。ワッカもルールーも、リュックもキマリも。 ───ユウナも。 みんな、本当のみんなだったけど……でも……違うんだ。……まるで……初めてスピラに着た時みたいに……独りを感じるんだ。一緒に歩いてたはずのみんなの背中が……遠いんだ。 まるで───あの夢みたいに」 その言葉と共に、焚き火の明かりに照らされてきらきらと幾度か瞬きながら、一つの滴がティーダの頬から流れ落ちる。視界の中に刻まれたそのひと筋の光にユウナは気づいていたが、敢えて触れずに、じっと押し黙ったままでいた。ずず、と鼻を啜ると、ティーダはひっそりと微笑みながら、こう、言ったのだった───。 「オレさ……帰ってきて、良かったのかなぁ?」 ───パチリ。 ……再び火が、爆ぜる。 その言葉を合図に、遺跡の中にしばしの静寂が訪れた───。 ユウナは───思う。 彼は、彼の言う通り、初めて二年と少し前に初めてこのスピラにやってきた時と、ほとんど同じ孤独を感じていたのだ、と。誰かと一緒に居ても、それでも独りを感じてしまう。それを再び彼は味わっていたのだろう。 でもその孤独は、二年前のそれよりもずっと残酷なものだったのかもしれない。 彼は、一度、“知ってしまった”のだから。 まったく知らない場所で同じ孤独を味わったならば、それでも仕方のないことだと観念することもできるかもしれない。でも、今の彼は、一緒に居て孤独を覚える人達のことを“知っている”のだ。その相手がどんな性格で、何を言われれば喜び、何を傷つけられれば怒るのかを、“知っている”。 苦難の旅を共にし、相手が今何を考えているのかも察することができるほどに信頼を深めてきた仲間達が、彼にとってのたった一晩で、変わってしまった───それは、彼にどれほどの違和感と孤独を与えただろう? 例えるのなら、それは爪のようなものだ。今自分の指先に生えている爪は、一見すれば二年前とは変わらないものに見えるだろう。でも、その爪は何度も切られては生え変わってきた、二年前とは全く別の爪なのだ。 二年経てば、人は充分に変わってしまう。自分自身ではそう大きな変化はないつもりでいても、彼のように時間をジャンプしてきた者にとっては、それはとてつもなく大きな変化に見えるはずだった。 何気ない会話の中でも、ふとした動作の中でも、その差異は次々に現れていくだろう。特に───長く共にしていた者───ユウナのそれは、彼にとって嫌というほどに浮き彫りになったに違いない。何故ならユウナこそが、この二年で最も大きく変わった人物の一人だったのだから……。 この一ヶ月の旅の中で、彼はユウナが二年の間に身につけた“強さ”を見た。 そうして───彼は、こう思ったのかもしれない。 自分がいなくても、彼女は生きてゆけるのかもしれない。 自分はもはや、必要ない存在なのかもしれない、と───。 ─── そっか。 そうだったんだね…… ─── ───パチリ。 何回目かの火が爆ぜる音が、空しく響いた。 ティーダが不意に耳を澄ますと先ほどまで扉の向こうで強く吹いていた山風が止んだようで、一層に深まった静寂が辺りを包み込んでいる。雪が積もる音でも聞こえてきそうだな、とティーダは思い、その後少し考えてその表現を、ありきたりだな、と自ら評すと、自嘲気味にひとり微笑んだ。焚き火の揺れる音に紛れるように、ひっそりと。 成り行きで、または無意識的な強制によって二人がこうして押し黙ってから、果たしてどれだけの時間が流れただろう。きんと、耳が痛みを覚えるほどの静寂。ティーダは足元に置かれているカップを手に取り、中に注がれた液体を口に含んで───思わず、眉をしかめた。ついさっきまで温かなお茶がそこに在ったはずなのに、先ほどの会話の間にすっかりと冷めてしまっていたようだった。ティーダはこの何でもない液体にですら拒絶されてしまったように思ってしまい、再びこみあげてきそうになる感情を必死に抑えつけた。 自身の肩に身を寄せたままじっと黙ったままでいるユウナに、視線だけを投げやった。ユウナは、まるで眠っているかのように身動き一つせずに、しかし目は薄く開いていたまま、絶えず揺らぎ続ける炎を見つめている。その表情からはティーダの話を聞き何を思ったのか、推し量ることは難しかった。 (……どう……思ったんだろう? ……ユウナは……) カップを再び床に置いて空になった指先を心細そうに擦り合わせながら、ティーダはそう、思う。帰ってきて、良かったのだろうか? ……その問いに、ユウナはどんな答えを思ったのだろう? しかし当のユウナにはそれを───あるかどうかすらも分からない答えを───舌に乗せる様子が、まるでなかった。ただ沈黙を保ったまま、ただ炎を見つめたままでいる。ティーダは視線を戻し、所在なげに再び指先を擦り合わせた後、弱まってすらいない火に薪をくべた。 (黙っているってコトは……やっぱ……) 視線をすっ、と落とし、それと共に心までもが暗澹たる闇に堕ちそうになったその瞬間、ねえ、と、突然ユウナが口を開いた。その唐突なタイミングに戸惑ったティーダは、瞬間声を発することが出来ず、目を大きく見開き彼女を見ることでそれに応えるとユウナは視線を遺跡の入り口の扉に移しながら、 「風、止んだね?」 と、言った。 「え? ……あぁ、そういえば……そうッスね」 ティーダがかろうじてそう答えると───それにしてもその答えの、なんとそっけなく響いたことかと、ティーダは言った瞬間に悔やむ───ユウナは一瞬の間の後に、パッ、と立ち上がって、 「ちょっと外出てみない? キマリが教えてくれた“星の婚礼”が始まってるかも」 と、微笑みながら、そう言う。ティーダは、実のところはそう言われる今の今までキマリの話をすっかりと忘れてしまっていて、だから動揺しながらも何とか思考を巡らせて、やっとの思いで落ち着いた様子を作り、相槌を打つ。今度はちゃんといつものように話せるようにと、願いにも似た気持ちを込めながら。 「あー……そーいや、風が止んだらってキマリも言ってたもんな」 そのティーダの言葉にユウナは満足そうに頷いてみせると、 「うん。 ───行こう!」 そう言ってユウナはティーダの手を取り、小走りで遺跡の入り口へと向かって行こうとする。 しかし─── 「───っ?」 ぐん、と後ろに抵抗を感じた。 思わずユウナが振り返ると、ティーダはまるで置き去りにされてしまった子供のような顔をして、そこにいた。そう、確かにそこにいるのに。この手も、こうして繋がっているのに。でも、それでもティーダは、置いていかれてしまったみたいな気持ちになっていた。 (───まだ、聞いてないのに。 ユウナの答えを聞いてないのに───) ティーダはその思いを言葉にすることもできないまま、目だけでユウナに訴える。しかしユウナはティーダのその表情を見て一瞬、切なげに表情を歪めたものの、それはすぐにいつもの彼女の笑みに隠されてしまう。 「……行こう?」 首を傾げながらそう言うユウナの言葉は、ティーダにはまるで安心させようとしている風に聞こえる。大丈夫だから、と、そう言っている気がした。 「……うん───」 だからティーダもまた、それに応えるようにほとんど無理矢理に笑顔を繕ってそう答え、後ろ手に引かれながら歩き出してはみるものの───心の中は、暗澹としたままだった。 (ユウナ───どうして───) 白い息を散らしながら、自らの手を引いて歩む彼女の背中を───スピラに帰ってきたあの日の彼女の背中と重ねて───見つめながら、ティーダはそう思い、唇をきつくかみ締めた。だが、そうこうして逡巡している内に、二人は遺跡の扉の前に辿り着く。 ユウナはティーダを促すと、せーの、の掛け声で合わせて、二人の全身の力を結集させ重い遺跡の扉を開く。 すると─── その先に広がるガガゼトの夜空に、二人が見たものは、 一面に渡って広がる、“七色の衣”だった───。 つい先ほどまで吹いていた強風が全ての雲を散らしてしまったのか、空にはただひとちぎりの雲すらない。風はその代わりに、ガガゼトの山は蒼く清浄な光を湛えた、真っ白な雪景色を残していった。 数え切れないほど多く、受け止めきれないほど強く大きく輝く星々は、遠くに見えるナギ平原のそのさらに向こうまで広く散りばめられていて、スピラのどこよりも空に近いこの場所からは、どこを振り向いたとしても煌く星で溢れている。 その中で、琥珀色の光を降り注ぐ宝石のような真円を描いた月の下で一際強い輝きを放つ、蒼い星と紅い星。 その二つ星を包み込むようにしながら、穏やかな光を湛え七色に変化し続ける光の衣は、星々が埋め込まれた夜空という名のステージで、キマリが教えてくれた物語の通りに二つ星を祝福するかの如く、舞っていた。 幾枚もの衣は幾重にも重なりあい、およそこの世に存在するだろう全ての美しい色を次々と自身に映しながら空いっぱいに広がり舞い踊る。 けして激しくなく、穏やかにゆっくりと……。 そこにあったのは、二人が想像していたそれを更に上回る絶景だったのだ───。 「───うわぁ……」 瞳をいっぱいに広げてその光景を受け止めながら、屋内に居た時以上に真っ白に染まった吐息と共に、ユウナは心からの感嘆を零した。真夜中のガガゼトの厳寒だけは、二年前のかつての旅と同様に、触れていて痛みを覚える程の寒さを二人に与えたが、それすらもこの光景に覚えた感動への、ちょっとしたエッセンスのような役割を果たしていた。 ユウナはティーダの手を離し、彼よりも少し先へ小走りに駆けて、空を舞うあの衣を掴もうとばかりに空へ、その両手を伸ばしている。 「ねえ、すごいね?」 そう問うユウナの声にティーダは「ああ……」と小さく呟くように答えたきり、夜空を見上げたまま瞬き一つすることすらできずにいる。一歩だけ彼女に歩み寄るように出した足元から、ざくっ、という柔らかくくぐもった雪の音が中空へ溶け、消える。ティーダはそうして空を見上げたまま、ユウナのように感嘆の言葉を零すことすらもなかった。 ───いや。 感嘆の言葉を零すことすら、“できなかった”のだ。 これだけの光景を目にしても彼の心は響くことはなかった。ティーダがその光景を見ていたのは、ほんの数瞬のこと。その視線はすぐにユウナへと移される。自分より少し前を歩く、彼女の背中へと。 (……ユウナ……) 例えどんなに美しいものがそこに在ったのだとしても、結局は見るものの心次第。それを見る者の心が濁っていたり曇っていたりすれば、どんな美しさもどんな光も、その者の心には届くことはない。今のティーダの目にはこの眼前に広がる絶景ですら、取るに足らない事象の一つに過ぎなかった。 「すごいね、すごいね」 視線は空に向けたまま、そう熱心に言うユウナに、ティーダは、ああ、とか、そうだな、とか、それが不自然に落ち込んで聞こえないように苦心しながら願いながら、かろうじて答える。だが───ティーダの心は荒みきっていた。 (今───そんなの見てる場合なのかっつーの!) (そんなの見てる場合か?) (それよりオレのことはどうなってんだよ?) (オレは───……なんなんだよ───?) 今すぐに彼女の肩を掴み、そう問い質すことができればどんなにいいだろう───? だが、ティーダはそれをけしてしようとはしない。最後の理性が、まるで彼女に対抗するかのように培われた彼の大人の部分が、今にも暴発しそうになる彼の想いをかろうじて抑えていた。 もはや目の前で起こる事象も、世界で起こっている全ての出来事も、どうでも良かった。 大切なのは、目の前のユウナがどう想っているか? ただ、それだけだった……。 (もし、ユウナがオレを要らないって言うんなら───オレ───) 不穏な考えが頭をもたげ、こくり、とティーダは喉を鳴らす。 そうして、ゆっくりと彼女の名を、その舌に乗せ─── 「……ユ───」「ねえ?」 ───ティーダは、口を噤んだ。 ユウナの突然の呼びかけに、ティーダの中で弾けんばかりに膨らんでいた悪意に似た気持ちは、急速に萎んでいく。ユウナは依然としてティーダに背を向けたまま、大きく、大きく二度深呼吸を繰り返す。ガガゼトの冷気を吸うその度に、きっと肺が凍りつきそうになるくらいの痛みを覚えたはずだった。 冷気で体が冷えてしまったためか、または他に原因があるのか、ぐすり、と一度ユウナは鼻を鳴らした後、 「……ごめん。 なんていうか、私……巧く、言えないと思うけど……」 ここは果たして本当に大自然の一角なのだろうか───? そんな疑問を覚える程の静寂に包まれたこの場所でなければ、きっと聞き取れなかったかもしれない程に小さくか細い声でユウナはそう、言った。本当に、耳鳴りがするくらいに静かだった。まるで、この自然すらもユウナの言動に耳を澄ませているかのように。 ティーダは、こくり、と喉をもう一度鳴らし、 「…………うん」 と、頷く。その時、溢れるほどに白く染まった自らの吐息が、銀色の月明かりの中に溶け、消えていくのを、見た。 ユウナはもう一度深く深呼吸を繰り返すと───こう、言った。 「私は───キミを待ってた。 キミを探してたの。 この二年間、ずぅっと。 そうして───出逢えた。 やっと出逢えた。 二年もかけて、やぁっと」 ───と。 銀色の月明かりを背負いながら、ユウナはそう、言ったのだった……。 「───……。」 ティーダは、ユウナのその言葉をただ、受け止める。 微かに震えていたような、彼女の言葉を。 微かに潤んでいたような、彼女の言葉を。 でも、少しだけ含まれた笑みに彩られた、彼女の言葉を。 ただただ───受け止める───。 やがて、ずず、ともう一度ユウナは鼻をすすると、ティーダの方へくるりと向き直り、厳寒によってか赤く染まった頬を笑みの形に持ち上げて、 「……それじゃ、足りないかな?」 と、付け加えた。きっちりとした笑顔を拵えた彼女の瞳は、しかし潤んでいたことをティーダは見逃さなかった……。 ティーダは、決意する。 それから一つだけ、大きく溜め息をついた。 首を横に振りながら、口元には小さく笑みを添えながら。 そうして……ユウナへと視線を向け、こう、“応える”のだった。 「……ありがとう。 ───ユウナ」 そのティーダの言葉に───ユウナはただ微笑だけを浮かべて、応えた。今度のその彼の笑顔は、嘘から生まれたものではないことが……ユウナにも分かったからだった。 ティーダはざくり、ざくりと雪を踏みしめながら、一歩、また一歩とユウナへと歩み寄る。ユウナは近づいた彼の指先を掴むと、ふわり、とまるでコートを羽織るかのように彼の両腕を自らの体に絡め、ちょうど後ろから抱きしめられる形にする。 それは、二人が二年前に別れた時と同じ、抱きしめ方だった。 ユウナは自らを抱く彼の両腕を、二つの手のひらで抱きしめる。そのまま二人は、夜空の二つ星の婚礼を見守り続けた。二人は、二人で笑いながら夜空で展開される奇跡を見つめ、その美しさについて語り合う。 そうしながら、ティーダは───思い出していた。 先ほどユウナが言った、それじゃ、足りないかな、というその言葉を───。 ふっ、と。 ティーダの瞳に夜空の闇が───堕ちた。 (……足りないよ。 ユウナ───) けして言葉にしないと決めたその呟きは、ティーダの心の中だけで零される。彼女の髪に鼻をうずめ、その香りを盗むように吸い込みながら、ティーダは、思う。 二年の間に二人の間に生まれた距離。 それは、例えどんな時間を過ごしたとしても、どんな言葉をもってしても、急速に埋めることはけしてけして不可能な距離なのだ。ティーダが例えば一日分の距離を歩んだとすれば、ユウナもまた一日分、歩みを進める。目の前に起こるこの情景のような奇跡はあっても、たった一瞬で二人のこの距離を埋めるような奇跡は、きっと存在しないはずだった。 世界で一番愛する彼女が言った、先ほどのあの言葉ですらも。 例えば───例えば。ユウナとティーダの距離が、何かの奇跡で埋まったとする。だがしかし、他の人とはどうだろう? ワッカは? ルールーは? リュックは? キマリは? シドやリン、オーラカの皆とは、どうだろう? つまり───そういうことなのだ。 ティーダが距離を感じるのは、何もユウナだけではない。 彼女との問題だけが解決すれば良い訳ではない。 ティーダが遠く感じているのは、このスピラそのもの。 それこそが、彼にとっての“現実”なのだ───。 ───だけど。 だけど愛する人の言葉は、ティーダの心に奇跡こそは起こすことはなかったが、一つの変化をもたらしてはいた。 依然として問題は解決していないのに。 ティーダとユウナの距離は触れ合う程に近づいていても、 やはり相当に離れているというのに。 でも気がつくと、膨れ上がっていた嫉妬心や苛立ちみたいなものは消えていた。 でも気がつくと、胸の中に吹いていた薄ら寒い風も、止んでいた。 ティーダは、彼女を抱きしめる腕に、さらに力をこめる。できるだけ優しく、でも思いの強さが伝わるように、と。するとユウナもまたそれに応えるように、自らの腕を抱く両の手のひらにぐっ、と力を込めた。ティーダはそのユウナの、けして大きくはない二つの手のひらの感触に、ああ、と、思わず声を零してしまいそうになる。 何故ならそれは、彼が夢として消えていこうとしていた二年前には、けしてできないことだったから───。 かつてと同じように抱きしめ、それに応えるように添えられるユウナの手のひらを感じながら、これが“現実”なのだろう、と、ティーダは思う。 けして優しくはない、でも確かに在るこれこそが、ティーダにとっての“現実”。 例えば、このガガゼトの肌を刺すような厳寒。 例えば、雪に触れた時の指先が痛むような冷たさ。 歩くたびに足が痛む、ゴツゴツとした岩肌。何者にも汚されていない清純な雪の匂い。頬を撫でる風。鼓膜を震わせる、遠く聞こえる鳥の鳴き声。雪を踏みしめる音。焚き火の温かさ。目に焼きつく炎の残像。自らを包み込む毛布の温もり。 指先を掴むユウナの手。放たれる、囁かれる、呟かれる、ユウナの声……言葉。衣擦れの音。耳元でのキスの音。細い腕。白い肌。一つずつ違う色の瞳。抱きしめたユウナの体温。その腕をさらに抱きしめる、ユウナの手のひらの力強さ。 喜び、悲しみ、感動、切なさ───。 思い返してみればこの一ヶ月で旅をしたスピラで、ティーダに与えたそれら全てのものが、彼はここに、この“現実”に居る人間なのだということを教えていた。もう、“夢”ではないのだ、と。 そう───彼女は、ずっと答えていたのだ。 言葉になどしなくても、ずっと。 再会したあの日から、ずっと。 キミは、ここにいるよ、と───。 「……ユウナ?」 「ん」 ティーダがぽつり、と零れ落ちるように耳元で彼女の名を囁くと、 ユウナは微笑みと共に、答える。 ───生きていかなくては、ならないだろう。 スピラに帰ってきたんだっていう、この“現実”を。 生きていこうと、決めた。 けして優しくはない、でも、大切でたまらないこの世界で。 「……オレ、決めたから」 「……? きめた?」 きょとん、とした顔で見上げるユウナに、ティーダは微笑みを返す。分からなくてもいいんだよ、という意味の微笑み。 ───辛い時があるかもしれない。 また、痛む時もあるかもしれない。 風が、再び吹き始めたようだ。 雲ひとつなかった夜空は見る見るうちに曇ってゆき、やがていつものガガゼトの空模様へと戻っていってしまった。ほんの十数分の間に引かれてしまった奇跡の終幕の一部始終を、二人は見つめていた。 「……終わっちゃったなぁ」 何も今の出来事だけではなく、とにかく何かが終わってしまうということそのものを、ただ哀しく、ティーダは思ってしまって、ついそう、ぽつりと寂しげに呟いてしまう。 ユウナもまたティーダと同じ気持ちでいたが、でも同時に、心のどこかでそれは仕方のないことなのだと、割り切っている自分もいた。だから、 「……そうだね」 と、答えたそのすぐ後に、 「ね、また寒くなってきたね?」 と、明るく言うこともできるのだ。ユウナのその言葉に、ティーダはくすり、と微笑むと、 「───戻ろっか?」 そう、少しだけ首をかしげながら答えた。ユウナはそのティーダの言葉を受けて、うん、と大きく頷くと、再びティーダの手を引いて、遺跡の入り口へと走り出す。そうしてその彼女の背中を見て───ティーダは、やっぱり、遠いな───と思ってしまう。 ……でも……。 ───空からは、また雪が降り始めてきたけれど。 すぐ隣にいる君を、とても遠くに感じたりもするけれど。 走りながらふと、ティーダは、何かに誘われるように、ふと、後ろを振り返ると、 雲の隙間にもう終わったと思われた“星の婚礼”を見つけた。 しかしそれは、ほんの、瞬く間の出来事。 雲はあっという間にその隙間すら埋め尽くしてしまい、 その夜はもう二度と、あの光の衣を見ることは叶わなかった。 でも、ティーダは忘れない。 一瞬のうちに瞳に焼きついた、 この、今自らが踏みしめている世界が放つ、美しさを。 fin. |
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感想 | ||||||||||||
2005年1月15日〜3月末日までノベルとイラストのコラボレーション(合作)を楽しむことを目的として開催されていた「ノベイラ・コラボ」で参加型テーマクイズに応募し、見事銀賞を受賞致しました。(≧∇≦)b ヤッタ〜!!! そして銀賞の賞品が「サンプル展示作品の中から、一番気に入ったコラボ1作品のサイト掲載権」でしたのでこちらの侑史さんと桜沢綾さんのコラボ作品”real” Emotionを選び掲載させて頂きました。 FF10-2のEDで再会したユウナとティーダのその後の話なのですが、ティーダの孤独感が伝わってきて読んでいると私の心まで切なくなってきました(つД`)゚。・ 二人の間に出来てしまった空白の時間がどうやって埋まるのか…ドキドキしながら読みましたが、最後にはティーダらしく前向きに進んでいこうとする気持ちになり安心すると共に頑張れと応援したくなりました。 “星の婚礼”の美しい情景が目に浮かびます。 ティーダだけが最後にもう一度一瞬ですが“星の婚礼”を見れたことが私の心に印象深く残りました。 そしてイラストが素敵ですね!それぞれの場面の雰囲気がこちらに伝わってくるようです。 二人の表情も小説のイメージ通りですし、ガガゼト山の雪景色がとても綺麗です。 誰もが気になるその後の二人を、それぞれのキャラの個性をきっちりとつかまれ納得のいく結末にされた感動の大作!その上素敵イラスト付き!! こんな作品を掲載させて頂いた私は幸せ者ですTT▽TTダァ〜(感涙 侑史さん、桜沢綾さん、本当にありがとうございました。 2005年4月17日 |
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侑史さんのサイトは現在残念ながら休止中です。いつか復活されることを楽しみに待ちたいと思います^^休止はされていますが侑史さんの描かれた小説は読めます♪
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