”real” Emotion -前編- <FFX-2>   ノベル:侑史様 イラスト:桜沢綾様


 ───つうかさ、変わったよな?

 ───そりゃあ、いろいろありましたから。




 オレがこの世界───スピラに帰ってきた時に彼女へ問いかけたら、笑いながらそう答えたんだ。もちろん、オレも笑ってた。もう二度と戻ってこれないと思っていたこの世界に帰ってこれて。二度と会えないと思っていた彼女に、また……逢えて。
 オレも、ひどく嬉しかったんだと思う。彼女と一緒に、海辺からみんなのところへ走りながら、はちきれそうな歓びと一緒に、彼女に向かってこう言ったんだ。

「聞きたい!」って。

 彼女の言う、その“いろいろ”を、聞きたかった。
 彼女がどんな道を歩いてきたのか、知りたかった。

 でも、オレはその時、知らなかったんだ。




 ───オレが消えたあの時から、

      二年もの月日が流れていただなんて。









 その日の霊峰・ガガゼトは、穏やかだった。

 空は遥か遠くのベベルまで見通せる程に晴れ渡り、極北の山中ということもあるためさすがに風は冷たいものの、しかし昔の旅の仲間から手ほどきを受けた黒魔法のおかげで、その冷たさも凍てつくようなそれではなく、険しい山道を歩き火照った二人の体には、むしろ心地いい涼しさを与えてくれるものになっている。
 見上げれば空は快晴。目の前には眩いばかりの銀世界。
 かつては聖地ザナルカンドへ向かって旅をする召喚士達の試練として立ちはだかっていた厳しい御山も、その度重なる試練の果てに死の螺旋を破ったこの二人の“新たな旅”だけは、温かく見守るつもりのようであった。

「よいしょ───っと」

 そう小さく呟くと、ティーダは自らの背丈程もあろう岩を、身軽に乗り越える。そのまますぐ先へ進もうと思ったが、ふと、あとに続く連れのことを思い出し、見下ろしてみると───そこに、何だか嬉しそうに口元に笑みの形を拵えながら自らを見上げる、ユウナの姿があった。
「なに?」
 それがあんまり嬉しそうなものだったから、ティーダも思わず笑みを零し、そう訊いてみた。するとユウナはティーダの声に、一層の笑みを浮かべて見せて、首を横に振る。
「ううん。───なんでもない」
 ちっとも何でもなくなさそうに、心からの嬉しさを込めてそう答えるユウナの姿に、なんだよ、それと照れ隠しに毒づきつつも、やはりティーダは、愛おしさを抑えきれずにいた。
 だが───。
 ティーダはすう、と視線を中空へと移す。すると自然と視界に飛び込んでくるのは、平和そのものを象徴するかのような、雄大なスピラの景色。祈り子が消え去り、霧の晴れたこの御山の眼下には、美しい無限の緑が織り成すナギ平原が広がっていた。このガガゼトの高さをもってしても、なおその全てを見通すことのできない平原の広大さに、ティーダはしばし心を奪われてしまう。その光景に歩んできた自分達の旅路を思い返し、彼女と歩んできた微笑ましい時間に頬を緩ませつつ、しかしその反面で、心ならずもその微笑ましい時間とやらに、憂いを覚えてしまうのだった……。









 ───時は、少し前に遡る。


 ティーダがこの世界───スピラに帰ってきた日のことだ。
 彼の帰還を祝う盛大な宴も終わり、夜も更けた頃に。二人は、互いの手を握り締めながら、夜を徹してそれまでのことを話し続けた。とはいっても、実際に話したのは主にユウナだったのだが。
 そう。ティーダにとって、歴史の残ったあの出来事───『シン』消滅はつい昨日のことなのだ。しかしユウナにしてみればその出来事は、既に二年前のもの。彼の時間が止まっていた間も、彼女の時間は正しく動いていた、ということだ。そうして互いの間に生まれた、二年という時間の差異を埋めるべく───もっとも、当人達にはそんなつもりはさらさらなく、ただただ心のままに、何かを話したくて仕方がないだけなのだが───自らよりも二歳年上となってしまったユウナから一晩中、ティーダはその二年の間に起こった出来事を聞いていた。
 二年の間に行われた、ベベルが隠した歴史を暴く真実運動。その際に生まれたスフィアハンターという仕事。“あるスフィア”をきっかけに、ユウナ自身もスフィアハントに参加したこと。一時、スピラが三つの“船”に分かれてしまったこと……。
 ユウナは、そうやって、自らが歩いてきた二年間を話し続け、ティーダはそれらを一つとして聴き零すことなく、彼女の一言一句に丁寧に相槌を打ち、誠実に受け止めた。
 ビサイド島で起こったことから始まったその物語は、空が白けるまで語り続けてもなお時は足りず、その全てを話すには、まだ尚多くの時間を必要とした。
 そんな折、二人の間に、こんな提案が上ったのだった。

 ───もう一度、旅をしよう───と。

 誰かを倒したり、誰かが倒れたりする旅じゃない。
 人々と話したり、宿の窓から街をぼんやり眺めたり、山や、河や、海を渡ったり。
 笑って、楽しんで、幸せになるような───そんな旅をしよう、と。

 ささやかなランプの明かりが照らす中、寄り添った二人はそんな話をした。もちろん、言い出したのはその二年間を良く知る、ユウナだった。
『ね? いいと思わない? 旅しながらの方が、もっといろいろ話してあげられると思うんだ。きっと楽しいと思う』
 ぽん、と胸の前で手を叩き、顔中を口にして笑いながら言うユウナの言葉に、ティーダは即時に大きく頷いてみせて、
『そうだな……オレもユウナの話聞いてて、いろいろ見て回りたくなったし……それ、賛成ッス!』
 そのティーダの、あの頃とちっとも変わらない笑顔に、ユウナはまた堪らなくなってしまい、湧き上がる心のままに、彼の胸へと飛び込むのだった───。

 それが、笑顔で決めた二人の“新しい旅”。

 一番最初に仲間達と旅を始めた時と同じように、旅立ちの場所は、このビサイドからだ。二人は、かつて悲愴の決意と共に目指した聖地ザナルカンドへ、その時とは全く違う希望に溢れた想いのもとに、旅を始めた。ビサイドからキーリカ。キーリカからルカ。ルカからグアドサラム───。その土地、その土地へ行く度に、ユウナはその地で起こった出来事の数々を語った……。
 先を急ぐ事のない旅であったとはいえ、あちこちで立ち止まったり呼び止められたり長居をする内に、旅立ちの当初に思っていたよりも多くの時間を費やしてしまった二人は、約一ヶ月の時を経た後、こうしてガガゼト山にまでやってきたのだった。山を越え、ザナルカンドを目指すのに差し当たり、ガガゼトの麓に暮らすロンゾ族の長であるキマリの許しを得るため一族の集落に立ち寄った二人は、そこでキマリから、ある話を耳にしたのだった……。


『……“星の婚礼”?』


 澄み渡った夜空を見上げながら呟いたキマリの言葉を、ユウナはゆっくりと繰り返した。それに対しキマリは慇懃に頷いて見せながら、自身の家として利用しているテント小屋の入り口にかけられた布を下ろした。簡単だが頑丈な造りのこの円錐状のテントは、ティーダやユウナにとっては充分に広い大きさのものだったが、元来から巨躯の肉体を持つロンゾにとっては───キマリが、ロンゾの平均には満たない程度に小さな体躯であることを差し引いても───少々狭いものらしく、焚き火を囲うように設置された椅子代わりの丸太に窮屈そうに座る彼の姿に、ティーダもユウナも、思わず笑みを零してしまうのだった。
 その笑みが意図することに気づいたのか、キマリは、昔の彼からは想像もつかない程に、自然に小さな笑みを浮かべてみせる。その様子に、何だか気後れを覚えてしまったような気がしたティーダを一人残し、キマリはユウナの質問に答えた。
『キマリがまだ幼い頃に、聴いた話だ』
 と、相変わらずの彼らしい誠実さのこもった声で言うと、朗々と、謳いあげるかのように、キマリはその物語を語りだす。

『───絶えることなく吹雪く御山の風の向こうで、星々もまた、我々と同じように厳しい日々を送っている。風が止み、雲が晴れたその時が、夜空で最も強く輝く二つ星の婚礼の日だ。辛い日々を共に過ごしてきた二つ星は七色に煌く衣を纏い、幾千の星々が祝福に瞬くその中で、互いの幸福を誓い合う───』

 キマリの落ち着いた、包み込むような低音の声で紡がれた物語に、ユウナはうん、と大きく頷き笑って、素敵、と呟いた。ユウナの笑顔にキマリもまた笑みを返す。
『ロンゾの女が、生まれてきた子供に聞かせる話の一つだ。おとぎ話のようなものだが……全くの作り話でもない』
『え?』
 そう訊き返すユウナの声に、キマリは目を瞑り、空を仰ぐようにしてみせた。
『幼い頃、槍の修行の最中にキマリは見た。滅多に晴れないガガゼトの風が止んだ夜、空一面に広がった七色の衣を……』
 ───美しかった。ユウナ達も見てみるといい。その光景を思い浮かべるように呟いたキマリの言葉に、ユウナはまるで父親の言葉に似た懐かしさと温かさに触れたような気がして、ゆっくりと、口を横一杯に広げて笑って見せた。ティーダはそんなユウナとキマリの絆の強さをじっ、と見つめた後、二人に合わせるように笑顔を拵えて、
『見に行くよ、キマリ。───きっと、見に行く』
 と、答えたのだった……。










 こうした経緯で、“新しい旅”の最終地点───ザナルカンドを目前にしながらも、ちょっとした寄り道をすることにした。
 今夜、その“光の衣”を見るのに相応しい野営地を選ぶにあたって、以下のような条件が二人の間に提案された。ひとつ、空のどこに何が起こってもすぐに見渡せるような、高い場所。ふたつ、ガガゼトの厳寒を凌げるだけの空間───ということで、二人は本来の経路とは違う道を辿り、近年に発見され、かつてユウナ達カモメ団もやってきていた山頂の遺跡を目指すことにした。そこはティーダもまだ行ったことがない場所であったため、ガガゼトで起こった出来事を語るには、もってこいの場所でもあった。

「───どうしたの?」

「え。あ……いや」
 ガガゼトから見下ろす下界の絶景や、心の内に秘めた想いやらにしばしの間心を奪われていたティーダは、ユウナの呼びかけに我を取り戻す。そうしてふと思い立ったことがあり、自らが昇った岩山とユウナとを見比べて、ティーダは口元から零す白い吐息と共に、その右手をユウナに向かって差し出した。

「ほら、つかまって」

 どうして、こんなことに気づかなかったんだろう? ───そう、ティーダは自らを戒めた。かつてガガゼトを登った時、先頭を進むティーダは、足場の悪い場所などでは常にユウナに気を配り、彼女の手を引いて導いてきたというのに。今の今までそのことに気づかず、先へ先へと進んでしまっていたのは───全く、自分の事しか考えられていなかったのだ。
 女性であるユウナを気遣って差し出されたティーダの手だったが……しかし、それを見てユウナは首を横に振りながら掌を突き出してそれを柔らかく拒絶し、自信満々、という様に、笑ってみせる。

「だーいじょうぶ───っと」

 小さな掛け声を上げると、ユウナはかつての彼女とは見違えるような身のこなしで、ティーダの手も借りず、軽々とその岩場を飛び越してしまうのだった。昔のユウナが静とするなら、今のユウナは動。その大きな変化に呆気に取られるティーダを尻目に、ユウナは岩場に着地を決めようとするが───
「あ、あれっ?」
 勢い余ってしまったのか、思っていたような美しい着地を披露することは叶わず、ユウナはフラフラと少しの間その場で揺れ、最後にはヤジロベーのようなポーズを取って、やっとの思いで静止する。「えーと……」と少し気まずそうに唸った後、ユウナは頬を赤らめながら、ティーダの方へ向き直り、
「かっこいいトコ、見せようと思ったんだけどなぁ……」
 と、苦笑しながら、残念そうに舌を出してみせた。だが───瞳に飛び込んできた、その時の彼の様子に、ユウナは思いがけず声を詰まらせてしまうこととなる。

 ティーダは、笑っていなかった。
 いつもの彼ならば、そんなユウナの様子を見れば、あの太陽のような眩しい笑顔を覗かせていたはずなのに。ティーダは自らが差し出していた掌をじっ、と見つめていたのだ。ひどく、寂しそうな眼で。




 ───あぁ───そっか

      オレ、やっとわかった───




「───……」

 脳裏に浮かんできた、その“答え”に、ティーダは自嘲気味な笑みを浮かべる。苦笑、ともとれるようなその笑顔は、ユウナにぞっとする程寂しい印象を与えることとなった。ティーダは広げていた掌をぎゅっ、と握り締め、彼女の方へ向き直った時───ようやく、彼女のそんな様子に気づいたのか、ハッ、と慌てたように表情を繕い、
「あっ───えーと……悪い、聴いてなかった。…何だっけ?」
 と、問うが───言葉を放つティーダ自身にも、それはあからさまに取り繕うだけの言葉に響いたものだから、内心、自らへ向けて舌打ちをする思いでいた。そんなティーダの内情を察したユウナは、敢えてそのことには触れずに、
「ううん───なんでもない。ただ、遠く見てぼうっとしてたから」
 と、こちらは自然に見せかけて上手く答えると、ティーダはその言葉を受け、再びスピラの情景を見回した。
 眼前に広がる絶景を、たっぷり十秒間眺めた頃だろうか。
 ティーダは口元を笑みの形に歪め、ユウナの方へそっと振り向きながら、言ったのだ。



「つうかさ───変わった、よなぁ……」



 それは、太陽のような明るさが取り得の彼らしくない冷たさや、寂しさのこもった言葉で、自らに背を向け、再び歩き始めてしまった彼の背に、ユウナは思わず哀しみに似た感情に、顔を歪めてしまうのだった───。













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